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2023年05月26日 モニカ・セレス殺傷事件から30年(後編)

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前編から続く。

セレスの復帰

 背中を刺されるという衝撃的な事件でしたが、幸運にも怪我自体は深刻なものではなく、傷はしばらくすると癒えたようです。

 しかし、心の傷はすぐには癒えず、事件の後遺症(PTSD)に苦しみ、復帰までの道のりが簡単なものではなかったことはうかがい知れます。

 当時はPTSDという言葉も一般的ではなく、他の人に理解されずに苦しんだのはないでしょうか。

 95年8月セレスはツアーに復帰しました。

 事件から2年4か月後、カナダの大会で復帰し、一戦目でいきなり優勝を果たしました。(準決勝はサバチーニとの対戦になり、サバチーニは1ゲームしか奪えず惨敗でした・・・)

 復帰1か月後の全米決勝では、グラフとの対戦となり、フルセットの激戦の末、グラフが勝利しました。

 試合終了後、二人がネットを挟んで抱き合う姿は、事件前(ライバル関係にあり、良好ではなかった)には見られなかった、とても晴れ晴れしいものでした。

 事件当時セレスの年齢は19歳、そこからの2年余りの歳月は、アスリートにとって本当に重要なものでしたが、それを無残にも奪われてしまいました。

 女子選手の全盛期は個人差はありますが、当時は10代後半から20代前半で迎える選手が多く、彼女の時代はこれからという矢先に事件は発生しました。

グラフのその後

 一方のグラフは、事件直後、セレス不在になった全仏・全英・全米・最終戦・翌年の全豪と主要大会を軒並み制覇し、世界ランク一位に返り咲き、完全復活を果たしました。

 94年の全豪では厳しいトレーニングで引き締まった体型と、驚くべきスピーディーさ、シャープさを披露しました。

 95年、96年は4大大会中3冠獲得するなど、まさに第二期黄金期を迎える活躍でした。

 96年に台頭してきたマルチナ・ヒンギス(スイス)との次の女王争いが注目されました。

 しかし、ヒンギスが絶頂期を迎えた97年から98年はグラフが故障で欠場することが多く、二人の対戦は限られました。

 98年の復帰後は思うような成績が残せませんでしたが、99年全仏で覚醒し、ヒンギスを破って優勝。

 その後の全英でも決勝に進み、全てやり切ったと感じたのか、1か月後に突如引退を発表しました。(当時のランクは3位)

セレスのその後

 事件の影響からか、復帰前はほっそりしていた体形がふっくらとしていました。

 パワーは復帰前より増したように見えましたが、鉄壁の防御、フットワークは失われてしまいました。(攻撃面の強さばかり注目されていましたが、実は守備面の強さこそが彼女の本当の武器だったかもしれません)

 翌96年の全豪でセレスは4大大会最後の優勝を果たします。

 グラフは故障か何かで欠場し、グラフ不在の大会での優勝でした。

 グラフとは復帰後の約5年間で5回対戦がありましたが、セレスが勝ったのは99年の全豪のみです。

 敗れた4回のうち3回がフルセットで競った試合だったことからも、お互いに負けたくない勝負への執念を感じました。

 また、復帰後は、グラフ以外にもヒンギス、ダベンポート、ウイリアムズ姉妹、カプリアティ、ノボトナなどの選手にも負けることが増えました。

 バックハンドスライスで低く滑るショットを多用されたり、角度をつけたショットを拾いきれなかったり、セレスを上回るパワープレイに打ち負けるシーンも多く見られるようになりました。

 それでも98年全仏のヒンギス戦、2002年全豪のヴィーナス・ウイリアムズ戦など、これまで一度も勝てなかった相手に対して、事件前の全盛期を彷彿とさせるプレイで勝利した印象的な試合もありました。

 体重は最後まで戻らず、復帰前の強さを取り戻すことはできませんでしたが、グラフが引退した99年以降もプレイを続け、2003年の全仏で敗れてから故障でツアーを離れ、2008年に引退を発表しました。

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あの事件が起こらなかったら・・・

 30年経った今でもセレスファン、グラフファンの間で議論になるのは、二人はどちらが強かったか、もしあの事件が起こらなかったら、その後どうなっていたかということです。

 私はサバチーニのファンでしたが、セレス対グラフは、グラフ側を応援していました。

 それはグラフの方がサバチーニにとっては相性が良く、まだ戦える相手だと思っていたからです。

 当時のセレスの精神的な強さ、特にピンチになった場面、重要な場面でのミスの少なさ、集中力は際立っていました。

 それまで弱点だと言われていたサーブやボレー、スマッシュなどの技術も徐々に改善し、日々強さを増しているような恐ろしい存在でした。

 グラフも弱点だと言われていたバックハンドの切れ味が増し、武器のフォアハンドやフットワークにさらに磨きをかけて強くなっているように見えましたが、安定感は明らかにセレスが上でした。

 ただ、94年の全豪時のシャープさを見ると、事件が起こらなくても自力で一位に戻れたと思えるような強さでした。

 あのシャープさは、事件の有無に関わらず、いずれグラフが到達したものなのかどうか、この点に掛かっているような気がします。

 事件が起こらず、あのままセレスに負け続けたら、グラフのモチベーションは下がり、引退してしまう、そんな展開も考えられます。

 たら、れば、の世界になりますが、個人的にはセレスの圧倒的な女王時代が続いたような気がします。それほど事件前のセレスは強かったように感じました。

 結果的に、4大大会の優勝回数はセレスが9回、グラフが22回。

 この結果だけを見るとグラフが圧倒的に強かったように見えます。

 ただ、当時の女子テニス界をリアルタイムで見ていたファンとしては、あの事件がなければどうなっていたか分からないという意見が正直なところだと思います。

 何よりも二人の対戦をもっと見たかったというのがテニスファンの気持ちでしょう。

 事件の発生により、コートチェンジ時にチェアーに座る選手は観客に背中を向けていましたが、今ではボールパーソンがコートから選手へ向かって立ち、選手の背後を監視するようなセキュリティ対策が取られるようになりました。

 事件の発生によって選手の安全面が向上したことだけは、唯一の救いでしょうか。

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