防犯ブログ

  • 泥棒小話
2006年02月24日 歴史の中の大泥棒

過去の歴史の中で有名な泥棒をリストアップしてみると・・・やはり、石川五右衛門と鼠小僧次郎吉の二大“双璧(?)”をおいて他には考えられません。

石川五右衛門
 安土桃山時代に“活躍”、37歳の時に、京都三条河原で釜ゆでの刑に処せられた、と伝えられています。ご存知、五右衛門風呂の由縁ともなっています。
江戸時代、浄瑠璃や歌舞伎で演じられたため有名になった五右衛門ですが、花に囲まれた朱と金色の京都・南禅寺山門で、「絶景かな、絶景かな」と見えを切る場面は特に有名です。

鼠小僧次郎吉
江戸末期の盗賊、背低く身軽、五右衛門と同じ年で獄門に処せられています。
彼も五右衛門と同様、「義賊」として、小説・講談・戯曲・歌舞伎などの題材となっていますが、果たして本当に「庶民の味方」だったのでしょうか?

真相はというと、封建支配者たる武家屋敷へのいやがらせをはかって屋敷に忍び入ったのではなく、単に盗難に対して用心深い町家を避け、特に厳重な金持ちの町家は避けて通った”ということ。
当時の町人は財力では大名家をもしのぐほど。多くの奉公人を雇い、夜の戸締り確認など防犯対策も徹底していたとのことです。
又、武家屋敷では、「泥棒に入られた」ということが表に出ることを避けたいために、被害届けの提出も出さないことも多かったと聞きます。
盗まれたのが、家宝の刀や鎧、将軍から拝領したものなどであったら、これはもう大変なこととなります。
従って、盗まれた大名家では、「何ごともなかった」かのように、被害に遭った事実を公表しなかったため、捜査もできなかったようです。

「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の種は尽きまじ 」

石川五右衛門の“辞世の句”ですが、まったくその通りではありませんか。

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